《Resolution/解像度》


   2003.3.11〜22
 

 ヴィデオや写真による作品ばかりを集めた展覧会が、絵画だけを集めた展 覧会と同様に退屈なのは、それを組織する者のスタンスがすでに何度も物語 られた「形式」というフレームに依拠することで、形式の強度を内外から浸 食して進行する表現の多層な実態を包装してしまうからだろう。望むと望ま ざるとに関わらず、宇宙衛星のセンサー・カメラからMRIや超小型カメラ、 あるいは、さまざまな地点に仕掛けられた監視カメラによって、すべてがリ アル・タイムに観察され再現されるような世界では、世界は空間的にも時間 的にもかつての拡がりと奥行きを喪って、何者かによってすでに写し撮られ た一本のVTRフィルムの任意のシーンのように現れる。そこでの〈表現〉 は、まだあると信じようとされる個的な物語でも異境のドキュメントでもな く、ディスクのなかに集積された世界像のオペレーションにならざるをえな い。                          すみずみまでオール・オーヴァーに情報としての画像を精密に感光させた 松江泰治の地形写真、ブラック・ペィンティングの鏡面の内部にかすかな彩 光の形跡を残す柴田健治のタブロー、光ファイバーのケーブルの先端の光像 を延長された視覚ニューロンとして、その構造を再編しようとする秋廣誠の 光学装置―。写真、絵画、映像にわたる表現のアポリア(限界)を前提に、 メディアの本質への批判的な解析から世界像を反証しようとする試みが交錯 する場を構想した。              鷹見 明彦(美術評論家)  



秋廣誠
 
 

松江泰治
 
 

柴田健治