美術評論家

 
鷹見明彦追悼展





会期=2011年10月31日[月]−11月12日[土]日曜日休廊
開廊時間=12:00-19:00 最終日17:00まで
オープニングレセプション:10/31 18:00-19:30 
会場=表参道画廊+MUSEE F
企画=表参道画廊+MUSEE F
協力=坂口寛敏(東京芸術大学美術学部教授)








◎鷹見明彦氏を悼む

 あたかも天の企みと符節を合わせるかのように、三月十一日の東日本大震災
と前後して幾人もの美術人が他界した。戦後の美術評論をリードしてきた震災
前の中原佑介に始まって、震災後は中原と同世代の評論家・瀬木慎一や彫刻界
の大御所・佐藤忠良、名だたる前衛集団ネオ・ダダを率いた吉村益信というよ
うに。しかし、功成り名を遂げた彼ら以上にわが身にこたえたのは、同じ震災
後、新聞の訃報欄で知った鷹見明彦の死であった。ここ二十年余、美術評論界
に独力で比類ない軌跡を残してきた彼の更なる達成に向けられるべき時間が、
理不尽にも奪われてしまったからにほかならない。私が初めて鷹見を知ったの
は、ちょうど彼が文化大革命後の混乱が続く中国から来日した蔡國強の才能を
いち早く認め、世に紹介すべく支援活動に奔走していた一九八〇年代終盤であ
る。蔡といえば、今でこそ火薬芸術家として遍く名を轟かせているが、日本で
の出発点において「絶えず宇宙の始原へと世界を回帰更新させてきたプロメテ
ウスたちのリレーを、東から受けつぐ者」と、その作家像を世界で最初に、か
つ的確な言葉で規定したのが、他ならぬ鷹見であった。蔡をめぐる卓抜な文章
からも伺えるように、鷹見評論の心臓部が宇宙の生成史や人類史、宗教、哲学、
生命科学、生態学、さらには古代の易学などを包含した、広大な視野と根源的
な深さを備えたイデアだったとすれば、それに魅惑的な肉体をモデリングした
のは、繊細な詩想の息づく彼固有の言霊の力だったろう。そうした評論ととも
に、蔡の発見時から一貫して仕事の両輪をなしてきたのが、発掘した有為の作
家たちを世に送り出す活動である。中でも足かけ十年、四十七回にわたって継
続された表参道画廊の企画展は、その貴重な遺産の一つといってよい。かつて
東西冷戦終焉後の美術の解体と再生の場所を、いとも鮮やかに照らし出してみ
せた鷹見のことだ。もしも存命であったなら、今頃は「災後」を巡っても独自の
所論を紡いでくれていたろうに。ただただ無念である。 
               
                   (美術ジャーナリスト・三田晴夫)
          












◎我が友 鷹見明彦氏を偲んで

                     2011年10月1日 坂口寛敏

 新緑と山桜に囲まれ、鷹見さんが見つめ写真に切り取っていた空が広がる赤城山嶺公園の鷹見家のお墓に、納骨する神事に立ち会わせていただいたのは、4月28日。その前の4月23日、東京芸大の大浦食堂を利休梅などの新緑に咲く木の花で会場を飾り、多くの親交深い方々と偲ぶ会を行っていた。

 激流のように止めることのできない過ぎ去る時間を前に、私はただ驚愕するばかりであった。2月9日、入院直前の鷹見さんから電話を頂いた。それまで自覚症状がなかったが、急に症状が出始めたので東大病院で精密検査を受けたこと。そこで「進行性肝細胞癌」と宣告されたこと。入院は妹家族と母親がいる前橋の日赤病院に決めたこと、この一週間は清澄白河の住まいの諸々を整理するのに奔走したこと。そしてやっと明日22日に入院し治療ができることを淡々と、そして何か晴れやかに話された響きが私の中に今も残っている。入院してちょうど30日目の3月23日、妹さんから連絡で「15時55分、兄は永遠の旅立ちをしました。」と伝えられた。

 鷹見明彦さんとの長く続づく親交は1991年ごろから始まり、小川国夫を訪ねて藤枝に行ったり、越後妻有や、杭州にも旅をした。お会いするとほぼ終電車になるか、それをあきらめるほどに話し込んでいた。

 

 小学生の頃美術手帖という雑誌があるから買って来てと母親に言い、絵をよく描き、評論家を志していた鷹見さん。鷹見さんは、私の知る中でも一番多くの若手美術家の作品を足で観て回わる美術評論家だった。会う時は、いつも彼自身が観て撮った作品のスナップ帳を開きながら、その作品に対する感想や評論が話題になった。この足は、数多くの発表の場を若手作家達に提供する事となる。

 2002年からは表参道画廊+MUSEE Fで47回の企画展をつくり、多くの若手美術家を紹介し続けた。鷹見さんに丁寧にフォローされ、発表の機会を得た若手美術家達の多くが、次々と与えられたステージで注目に値する発表を展開していることを見れば、鷹見さんの作品とその中の人物を見抜く力量は、とても鋭く的確である事が実証されている。

 近年は、青梅アートプログラムや武蔵野美術大学創立80周年記念事業「魔女たちの九九」展、東京藝術大学油画教員展「異界の風景」の企画協力を引き受け、相当な難問題にも精力的に取り組み、結実させていた矢先であった。

 来日して間もない蔡国強の生活面を支え企画にも寄り添い、また同級生の花火師と引き合わせ、次々と火薬を炸裂させる蔡国強のプロジェクトを援護した事は周知の事である。3.11東日本大震災と原発事故の影響で病床の鷹見さんと蔡さんの再会は叶わなかったが、出棺時にアメリカより航空便で原画が送られてきたと母上が語っていた。

 祭壇の傍のその原画には『宇宙の愛 永遠の朋友 鷹見明彦兄』と書かれていた。 









□追悼展参加作家(企画展開催年順)  


安藤孝浩  大竹敦人  中野西敏弘 坂口寛敏  富田俊明  
奥村綱雄  関口国雄  高瀬智淳  水野圭介  柴田健治  
秋 廣 誠  渡辺好明  森 山 晶  福田尚代  高柳恵里  
下薗城二  出月秀明  石田裕豊  槙原泰介  坂田峰夫  
大 塚 聡  石川卓麿  保科豊巳  元木孝美  江場佐知子 
奥村昭彦  鈴木亮輔  竹原伸彦  利部志穂  申 寿 赫  
塩崎由美子 伊 藤 哲  小川佳夫  山口玲子  天野純治  
大 西 博  菊池省吾  仁科力蔵  山口謙作  
みねお あやまぐち   内田亜里  上村洋一   白井美穂  
中 川 隆  阿部岳史  今中隆介  池田嘉人  
  











□鷹見明彦企画展一覧

2002.9.9-21   《LUMINAS/光の振幅》   安藤孝浩 大竹敦人 中野西敏弘
2002.9.25-10.9 《RHIZONE-地下茎と水》   坂口寛敏 富田俊明
2003.2.25-3.8  《CONFERENCE・会議》   大久村つなお 関口国雄 高瀬智淳 水野圭介
2003.3.11-22  《Resoulution/解像度》   松江泰治 柴田健治 秋廣誠
2003.9.22-9.20  SYNAPHAI-連系      渡辺好明 志水児王
2003.9.22-10.4  LOOP&ECHO-環りとこだま 森山晶 福田尚代
2004.2.3-14   《Limits&Re-define》制限と(再)定義 高柳恵里 水野圭介 下薗城二
2004.5.31-6.5   module.+        石田裕豊
2004.9.6-18   MUSEE Fセレクト《水面/拾集》 大竹敦人
2004.9.6-18   MUSEE Fセレクト      出月秀明
2004.9.20-25  《Integrate・組み合わせ》  大久村つなお 石田裕豊 槙原泰介
2004.11.15-27  MUSEE Fセレクト《光子を数える》安藤孝浩
2005.3.7-19   The day from far way -遠い日-  大塚聡
2005.3.7-19   森山晶展          森山晶
2005.10.18-29  表参道アンダーグラウンドシネテーク 関口国雄 石川卓磨
2006.3.28-4.8  THERE IS HERE,HERE IS THERE 保科豊巳
2006.3.28-4.1  元木孝美展         元木孝美
2006.4.3-8    江場左知子展        江場左知子
2006.7.10-15   奥村昭彦展         奥村昭彦
2006.10.23-28  安藤孝浩+志水児王     安藤孝浩 志水児王
2006.11.7-18   坂口寛敏展         坂口寛敏
2006.11.7-18   富田俊明展         富田俊明
2006.12.4-9   奥村昭彦x鈴木亮輔     奥村昭彦 鈴木亮輔
2007.7.2-14   「点のような」       竹原伸彦
2007.10.29-11.17 生誕100年記念「山口薫と山口薫に学んだ作家たち」
          麻生秀穂 井川惺亮 池口史子 榎倉康二 加藤勝久 木村克朗 坂口國男
          柴田賢治郎 高柳裕 高山登 中尾誠 羽生出 板東道美 福岡奉彦 
          安田義弘 山川輝夫 横森幹男 山口薫
2008.2.4-9    「家を持ち替える」     利部志穂
2008.2.4-9     SHIN SOOHYEOK展    申寿赫
2008.2.26-3.8   αMプロジェクト フローラ新本草図譜集
                       塩崎由美子 伊藤哲 坂田峰夫
2008.3.24-4.5   小川佳夫展        小川佳夫
2008.3.24-29   REIKO YAMAGUCHI EXPOSITION  山口玲子
2008.9.1-13    下薗城二展        下薗城二
2008.11.4-15    炎上する記憶       保科豊巳
2008.11.4-15   ロードランナー      槙原泰介 
2009.4.6-18    Layer/inner-sight 層と内景 天野純治 大西博
2009.6.29-7.11  水の舟/trait d'union 秋廣誠 菊池省吾 鈴木亮輔 仁科力蔵
2009.6.29-7.11  「中途のこと」      高柳恵里
2009.10.5-17   表参道画廊開廊10周年記念展
           坂口寛敏 保科豊巳 天野純治 渡辺好明 大西博 小川佳夫 森山晶
           安藤孝浩 みねおあやまぐち 坂田峰夫 秋廣誠 大竹敦人 富田俊明
           池田嘉人 内田亜里 山口謙作 山口薫
2010.3.1-6    「conductor's garden」  上村洋一
2010.3.26-4.10  災厄の星- Unstem!/Sinistre- 白井美穂 奥村綱雄 中川隆
2010.7.5-17    Slle de Recration-再創造の部屋 阿部岳史 今中隆介 小川佳夫 元木孝美
2010.11.1-13   パスカルの庭       坂口寛敏
2010.11.1-13   Esarthboud - 済州島と対馬から、写真を  内田亜里
2010.12.6-11   PRE-STORY 池田嘉人
2011.2.7-19    色景           大西博
2011.4.11-23   保科豊巳-平面作品展-   保科豊巳
2011.4.11-23   赤目強調機能       秋廣誠
              

展覧会内容につきましては、当ホームページ展覧会履歴をご参照くださいませ。








表参道画廊会場風景 --表参道画廊+MUSEE F開廊10周年記念展
 



表参道画廊会場風景 --表参道画廊+MUSEE F開廊10周年記念展
 




表参道画廊会場風景 --表参道画廊+MUSEE F開廊10周年記念展
 




MUSEE F 会場風景 -表参道画廊+MUSEE F開廊10周年記念展






美術評論家として活動していた鷹見明彦氏が亡くなってから半年が過ぎ
ようとしています。小学校の頃に書いた『将来のこと』という作文には、
「僕は、大きくなったら、大学の美術史科の教授になりたい。パリに行っ
て、出来る限りの美術を勉強したい。そのためには、先ず、学校が大切だ。
僕の狙う大学は一つ。東京芸術大学だ。難しいがベストを尽くしたい。
そして、僕の尊敬する人は、パリ画壇のチャンピオン、ベルナール・
ビュッフェだ。この画家は、今、40才だが、わずか20才で賞をもらい、
今は、現代第一線の画家になり、ピカソに匹敵する人気をもっている。
この人の画風は、ささくれたような鋭い線、それに苦痛を訴える色彩は、
僕の理想像なのだ。」と。あいにく、幼少の頃の敗血病の後遺症で片目
の視力が弱く、美大進学の夢は諦め、文学の道に進んだのだという。

東京芸大(1999、2004〜)をはじめ、茨城大学(2000〜)、武蔵美(2004〜
07)、北海道教育大学(2007〜)の非常勤講師を勤め、多くの美大や
美術館で、講演・レクチャー・審査をされ、 1993〜97年にはギャラリーMYU、
97〜2001年にはガレリアラセン、2002〜没年の2011年までは幣廊で、画廊
企画シリーズとして展覧会のサポートもこなし、美術の普及と若手作家の
支援にご尽力されました。独創的かつ先進的な鑑識眼は、企画作家が追って
後日に高く評価される多くの事例からも立証されるように、その先見性は
たしかであったといえます。今日の現代美術の純粋な意味での夜明けを切
に待ち望んでいた人でした。奇しくも昨年より美術界を牽引してこられた
著名な美術評論家が相次いで亡くなり、前途多難な日本の現代美術界です
が、よき理解者のためにも作家さんたちには前を向いて歩き続けてほしい
ものです。