藤本 なほ子
  

「 わたしの遺跡を見学する a visit to remains of ʻIʼ」

  

   




会期=
2021年3月22 日(月)ー27日(土)
会場=表参道画廊
時間=12:00-19:00(最終日17:00まで)
  

     




 


毎夜 枕もとにノートとペンを置いて

    わかるということが わからない

見た夢を書きとめていた

    自分のことばという事態が つかめない

はじめて ひらいてみる

    ことばは異物であるはずだから

なにも 思い出せない 書いたということすらも

    わたしから ひきはがす なるべく 遠くへ

これは誰か ほかの人の記憶ではないのか

       わたしから わたしを ひきはがす




25の夢ノート もういちど 記憶する

からだを通過させる

目を閉じて 読めない文字で 書いていく




───────────


10年ほど前から、枕もとにノートとペンを置いておき、夢を見ながら目覚めるようなとき、なかば 眠ったままに、その内容を書きとめていた。

昨年、そのノートをはじめてひらいてみたのだけれど、見事になにも思い出せない。
すべてが、まるで他人が書いたもののように、よそよそしく感じられる。
でも、そこにあるのは確かに私の文字なのだ。

今回の展示は、そのノートのなかの25個の夢の記録を暗記し、目を閉じて、左手で、鏡文字で書きう つしていく、という作品が中心となっている。

なぜ、このような作品をつくろうと思ったのか。その背景にはおもに次の2つがあった。

私には、「ことば」へのずれと距離、とくに「わたし」という語へのずれと距離の感覚が、つねにあ る。
そこから、自分の発することばをなるべく遠ざけたい、自分からひきはがして、「読めない」「わから ない」姿で──なぜなら、それが本来の姿だと感じるから──向こう側に置いて見たい、という欲求が 生じ、それが最近の制作の大きな動機となっている。

また、今回は
「いちど忘れ、離れてしまったことば/記憶を、もう一度からだに入れ、通過させて、アウトプットす る」
というイメージもあった。
自分のもののはずなのに自分のものとは思えない、よそよそしいことば/記憶を、よそよそしいまま に、このからだのなかを通過させたかった。

そうして書きとめた文字を展覧し、見学する。



「夢ノート 」(2020 年)



「夢ノート 」(2020 年)






藤本なほ子 Fujimoto Nahoko

1990年代に写真,パフォーマンス作品の制作を始める。
2003年以降,ことば・写真・映像を用いたインスタレーション作品を制作。
近年は,おもに文字を扱い,ことばと人とのかかわりに内在するずれ,乖離,
時間性などに関する作品を制作している。  



2003「ここではないについて述べる」(東京・Oギャラリー TOP’S)
  「ここではないについて述べる2 読まれない。」(東京・switch point)
2004「幾つかの言葉と,不透明な場所。」(東京・switch point)
  「弔辞/お別れのことば」(東京・文庫本ギャラリー)
2005「報告」(東京・Oギャラリー TOP’S)
  「報告  常滑へ」(愛知・STUDIO 2001)
2006「資料体  corpus」(東京・西瓜糖)

★他人の筆跡を書きうつした紙の作品。
2008「handwriting」(東京・西瓜糖)
2009「遺跡」(東京・MUSÉE F)
2010「現在の遺跡」(東京・MUSÉE F)
2011「のこらないもの」(東京・表参道画廊)

2012「部屋」(東京・表参道画廊)
友人からの手紙を書きうつす手と、窓からの風景の映像によるインスタレーション。

2013「パウルさん  Paul-san」(東京・表参道画廊/合同展)
急逝した映像作家Paul Weihsのための,4人の作家による合同展。

2015「语言素描  DRAWINGS OF LANGUAGE」(中国 重慶市・Organhaus)
「わからないことば」をめぐるインスタレーション(6週間の滞在制作)。
重慶市のあちこちで書いた「読めない文字」による100枚余のスケッチや、
自分には読めず、観客には読むことができる中国語の筆跡のトレース作品など。

2018「読まれうるもの」(東京・MUSÉE F)
友人や家族の話を録音し,ごく小さな鏡文字で書きとった紙の作品。
観客は,虫眼鏡を使ってところどころ読みとることができる。