History of Exposition
since2002.9




  楡木令子展REIKO NIREKI EXHIBITION - Another Landscape -
2003.5.26(mon.)〜6.7(sat.)       


表参道画廊での3回目の個展。和紙をつかった様々なインスタレーションを国内外で発表し続けている楡木。 文化庁の在外研究員期間のフィンランド滞在及びインドのケララ州、カルナタカ州での経験と帰国した徳島の和紙を融合させる最新作。

 

 

  サカグチタカコ展
2003.5.26(mon.)〜6.7(sat.)       


作品はどこにどう現れるのだろう?
参加者の中に?ギャラリーに?
目の前とその前の私。
私とわたし。
(「鏡の中に居座る-Squat in mirror/s]の作品テキストより) ・・・私は「作品」が現れる瞬間が大好きです。お化けをみたことはないけど、何かがたち現れることを感じられるからです。どこに?とかはわからないけれど。作品とはそんなようなものだと思っています。

 

 

  金沢友那展
 -大きい部屋-

2003.5.12(mon.)〜24(sat.)       

 中西教室を昨年修了し、この夏からは中国に留学を予定しているという。早朝のコンビニのアルバイトで見知らぬ様々な人を観察する。一瞬のレジの間に相手が生活する空間を想像していく。見えない部屋の存在を感じそれを表現していく・・。  


 





 

  イシダヒデユキ写真展
Missing Cuts 〜Blue Cuts

2003.4.14(mon.)〜4.26(sat.)       


「MissingCuts=忘れられた・あり得ない風景」をテーマとした作品作りをしているが、今回は「目に映るブルー・心のブルー」をキーワードにした、短編集のような一点完結型の作品を展示する。デジタル全盛の中でアナログの世界は希少になりつつあるが、自分の意志が入りやすいセルフプリントはなににもかえがたい魅力がある。

 




  菊地大二郎展
2003.3.31(mon.)〜4.12(sat.)       


緊張感のある空間作りは、作家のもっとも男性らしい大胆さの中に隠された繊細なバランスによるものであろう。そのいかにも女性が保持するような要素は、実は今や多くの女性のなかではどこかに置き去りにされてしまったもののように感じる。女性自身も魅了されるような作家の理想的な女性像を今一度確認したいものである。

 
▲T.L.A.P 2001


▲graduation 2003


  小澤麻紀子展
2003.3.24(mon.)〜29(sat.)       




前を向いてうしろに目をこらす
個、とそれを含む全体。
すごくおおきなもの、とほんのちいさなもの。
とっても大切なこと、とそれほどたいせつではないこと。
それらはおそらく、
どちらにもなりうる可能性をはらんでいるから、
あまり気にしなくてもいいのかもしれない。
複数の異なる写真をならべることによって膨れ上がる
イメージやストーリーを伝える作品を制作しています。
今回の展示ではひとりの女性の肖像をモチーフに、
写真とドローイングを用いて相反するイメージを 探っていきます。

 






 
  《Resolution/解像度》
2003.3.11(tue.)〜3.22(sat.)       
http://www.omotesando-garo.com/home.html



美術評論家・鷹見明彦氏による企画展第2弾。
 ヴィデオや写真による作品ばかりを集めた展覧会が、絵画だけを集めた展 覧会と同様に退屈なのは、それを組織する者のスタンスがすでに何度も物語 られた「形式」というフレームに依拠することで、形式の強度を内外から浸 食して進行する表現の多層な実態を包装してしまうからだろう。望むと望ま ざるとに関わらず、宇宙衛星のセンサー・カメラからMRIや超小型カメラ、 あるいは、さまざまな地点に仕掛けられた監視カメラによって、すべてがリ アル・タイムに観察され再現されるような世界では、世界は空間的にも時間 的にもかつての拡がりと奥行きを喪って、何者かによってすでに写し撮られ た一本のVTRフィルムの任意のシーンのように現れる。そこでの〈表現〉 は、まだあると信じようとされる個的な物語でも異境のドキュメントでもな く、ディスクのなかに集積された世界像のオペレーションにならざるをえな い。                          すみずみまでオール・オーヴァーに情報としての画像を精密に感光させた 松江泰治の地形写真、ブラック・ペィンティングの鏡面の内部にかすかな彩 光の形跡を残す柴田健治のタブロー、光ファイバーのケーブルの先端の光像 を延長された視覚ニューロンとして、その構造を再編しようとする秋廣誠の 光学装置―。写真、絵画、映像にわたる表現のアポリア(限界)を前提に、 メディアの本質への批判的な解析から世界像を反証しようとする試みが交錯 する場を構想した。                                       鷹見 明彦(美術評論家)  


 
▲松江泰治

▲柴田健治

▲秋廣誠


 

  《CONFERENCE・会議》
2003.2.25(tue.)〜3.8(sat.)       
http://www.omotesando-garo.com/home.html

美術評論家・鷹見明彦氏による企画展。
議事案のための議事案
 2002年は、美術館と大学で多くの講演を行った年でした。「現代美術-もうひと つの動向 ポスト・ミニマル/ネオ・コンセプチュアルの展開と日本のアーティス トたち」(千葉市美術館2002年5月)などは、コンテンポラリー・アートの背筋に あるそのコンセプチュアル(概念的)で実験的な特質を、現在形で継続し展開する 日本のアーティストたちを包括的に紹介する試みでした。なかでも、「デュシャン 以降、すべての芸術家は概念的である」(ジョセフ・コスース『哲学以降の芸術』 1969)というテーゼを、それぞれの状況において表現の動機と切り結びえているア ーティストとなると、日本では、依然として例外者に数えられるほどしか存在しま せん。しかしながら、いつの時代も真に価値観を革新する営為は、ほんの限られた 少数者のひそかな投機によって開かれてきたという経緯は、アートに限らず科学や 社会運動にわたっても、今日まで変わらずに観られる人間的な事象であることを、 この情報資本主義によるネットワーク化の波打ち際でつよく心に留めたいのです。  今回は、個人の表現への動機をコンセプチュアルに実験性に徹した方法をもって、 日常の断層をリアライズする作家のみによる展覧会 ―、というよりは、議題そのも のの決定をめぐって準備され、討論される〈会議〉のような、ひとつの機会(イヴ ェント)になるでしょう。        
   鷹見 明彦(美術評論家、CONFERENCE コーディネーター)




 
▲水野圭介

▲高瀬智淳

▲関口国雄

▲大久村つなお

▲水野圭介



 
  Warren Fithie Exhibition
2003.2.17(mon.)〜22(sat.)       
http://www.omotesando-garo.com/home.html

オーストラリア出身のビデオインスタレーション作家Warrenは、外国人を自称し外国人の視点で日本文化を洞察。祖先とのコミュニケーションの場として日本の仏壇に着目し核家族化とともに その役割はテレビなどのメディアにとって代わられたという自説を展開していく。
http://www.rendersaur.org/lan.html





 




  四天王展  Shiten-No Exhibition vol.1
2003.2.3〜15



ある者は絵筆をとり
ある者は槌振るう
我らが夢に火を灯せ
応々 我ら四天王


矢澤秀夫 坂本至 どてかずのり 名和田耕平 
4名によるグループ展。




   

  2002 WINTER SALE for WWF Japan
2002.12.4〜6


表参道画廊恒例の世界自然保護基金のためのチャリティセールにコンテンポラリー アート部門担当のMUSEE Fも参加。
出品作家は、ミネオ アヤマグチ、エミコ サワラギ ギルバート、前大道信ニ、山本基 、安藤孝浩、田中みぎわ他。
 



   

 

ミネオ アヤマグチ展  -Inter line-
2002.11.18(Mon.)〜30(Sat.)

時間:11:30am〜6:30pm 日曜休廊 
会場:表参道画廊(平面)
    MUSEE F(映像)
    http://www.omotesando-garo.com/home.html

1974年に渡英し、以降ロンドンを拠点にグローバルな制作活動を展開している。東京では86年に佐賀町エキジビットスペースにて発表して以来の個展となる。映像インスタレーションと平面 の16点。

http://www.aayamaguchi.com


Interline
■15点の絵画「Interline」 サイズ縦46cm、横81cm。キャンバスに油絵具。
■絵はいくつもの色を重ねていくだけです。その重ねの順序によって画面の色調が変わり、上層に現れた単純な形。色によって変わる感覚、暖かい色、冷たい色など。絵では一つの時点、コンピュータの映像では流れていく時点での色の変化とそれに付属する形。個と全体。一つ一つの線の集まりで一つの画面を構成する。絵画は線の相互関係、コンピュータ絵画は線の交互動作です。
最初は風景に興味があり、風景そのものやそれに含まれている物、石、木などと空間との位置関係に関心がありました。そして風景を見ているとその中に色があることに気が付きました。色は光がないとありません。光と色、その関係をスライドやビデオインスタレーションで表現を試みて見ました。しかしそれを表すには他の光を遮断してプロジェクターやビデオからの光のみでした。そのため10年前から絵画に移り、色の組み合わせと形を試みてみました。今回の個展は2002年に作った作品で、まだまだ発展していくと思いますが、この時点での私なのです。コンピュータの映像は、絵を描いているときに絵が動いてくれないので、それをコンピュータという媒介をとうして動く絵に表してみました。 ミネオ アヤマグチ  ロンドン 2000年
The picture is created merely by combining several colours. The colour of the screen changes in accordance with the sequence of combinations, and simple forms appear in the upper layers. Sensations change with variations in colour through the use of warm and cold hues. In the picture colours change at a single point in time, while with computer images they change with the passage of time. Individual elements and the whole: a single screen is formed from the assembly of individual lines. A painting is based on the interrelationship of lines, while a computer picture involves the mutual operation of lines.
The original focus of my interest was on landscapes and then on the positional relationships existing between space and the objects, rocks and trees present within landscapes. Looking at landscapes, I noticed that they contained colours. Colours are only present where there is light. I have attempted to express the connection between light and colour through the use of slides and video installations. But in order to express this relationship all I could do was to cut off other forms of light and use only light from projectors and video. I therefore moved to painting some ten years ago in an attempt to explore colour combinations and form. This exhibition consists of works created in 2002 that represent myself at the present juncture, although I feel there is still room for development along these lines. With computer images the picture does not move while one is painting it, and I attempted therefore to realise moving pictures through the computer medium.
Mineo Aayamaguchi, London, October 2002 Translated by Robin Thompson

 

  

 

Kristian Haggblom + Warren Fithie Exhibition
2002.11.11(Mon.)〜11.17(San.) 最終日5:30p.m.まで

デジタルメディアを使ったインスタレーション。
自殺の名所としても知られる青木ヶ原樹海を舞台に2ヶ月間放置されたふとんを通 して、人種をこえた人間の存在を思考する。

表参道Hp参照
http://www.omotesando-garo.com/home.html
http://www.rendersaur.org/jukai.html



 

  前大道 慎二展
2002.11.4(Mon.)〜11.9(Sat.)

技法:エッチング アクアチント 凹凸版刷り

銅版に絵の具で直接描き、湯でグランドを剥離させ、そこに深い腐食を施し一 版多色の刷りを行う。二年ほどこの方法を続けているが、版を前にして漫然とな り、描いては 消しを繰り返している。版を使う理由は色のバリエーションが可能である点と、 凹凸の出来るところである、と今は思っている。正直なところ版画である必要性 はあるのか、自分でも解らない。ただ一番身近な表現であると言える。 特にテーマは決めず、即興的に描くことが多いが、何を描いてよいのか解らなくなりながら、人型の絵を描くことが多くなった。 自分の思う表現が他の人にもリアリティーのある表現になることを希望している。 2002.9 前大道慎二

 



   

  Sensible Art 「知覚する芸術」Vol.2
ノアの虹(大洪水の後ノアの見た虹)

2002.10.19(Sat.)〜10.29(Tue.)      

作家:伊丹裕、加藤治男、立川真理子

Sensible Artは、自然現象の妙が視覚化される空間を体験する ことで、センス オブ ワンダー(自然現象の多様な不思議、驚きに気付く力)を再発見し、生命の記憶の中に封印された新たなる感覚をよびおこすための 空間を創出するアートです。
「ノアの虹」では、光りの作用により、3次元の正円の虹が連 続的に自己制作されつ空間が人間の進化と未来に対する希望のシンボルと して制作される。4 Dimention Unit (伊丹裕、加藤治男、立川真理子)による。


 



   


RHIZOME - 地下茎と水
2002.9.25(Wed.)〜10.9(Wed.)

作家:坂口寛敏 富田俊明
企画:鷹見明彦(美術評論家)+MUSEE F

その昔、広漠とした世界にさらされていたわれわれの祖先は、湧き水のある洞窟を捜し、隠れ住んでいた。洞窟のような場所が、潜在意識を深く包みこむのは、体内で生育された体験とともに積層された先史の記憶に触れるからだろう…。坂口寛敏は、循環する水やエネルギーの経路としての線と世界の可塑型としての器をモティーフに、流動する外界と人間を連繋させようと試みてきた。ギャラリーや地下の庭の内外にわたって、水の経路が巡らされる。富田俊明は、自分の生まれ育った土地の地下水による地形と土地をめぐる伝承とのあいだに、人間の記憶という水のありかと流れをたどった横浜トリエンナーレ2001での『泉の話』を経て、海外を移動する1年をすごした。旅をしながら、〈泉〉の淵へと往還する過程から、何かを伝え、またそれに触れる誰かと呼び交す契機が生じていく。
 世界の内と外を循環する水と人を結ぶ記憶の源泉の水…。水と養分をもとめて延び広がるリゾーム(地下茎)のように、洞窟を憶わせるこの地下スペースに世界をつなぎ開いていく場と時間が生み出されていく。    鷹見明彦(美術評論家)








▲坂口寛敏


LUMINAS / 光の振幅
2002.9.9(Mon.)〜9.21(Sat.)

作家:安藤孝浩 大竹敦人 中野西敏弘
企画:鷹見明彦(美術評論家)+MUSEE F

小さな隙間から光が差し込む地下室は、それ自体、ヒトの脳やこころの世界のメタファーのようでもある。中野西 敏弘は、蓄光塗料を塗った空間に映像や証明を当てて、残像となった光が闇に消滅していく時間を表す。安藤 孝浩は、センサーなどの電気的なシステムによって、エネルギーの現象とともにある世界の磁場にコンタクトする。ある場所の空をリアルタイムに本のなかに埋め込まれた液晶モニターに映す作品のように。大竹 敦人は、ガラス球や金属板を直接ピンホール・カメラの写像が感光するフィルムにして、移り行く世界の姿を封じ込めてきた。
〈光〉という世界自信のメディウムをめぐって、それぞれに現象との関わりを究めていく3人が、暗箱カメラにも似たこの場所を感覚の体験から内観の場へと編成していく。                      鷹見明彦(美術評論家)


▲安藤孝浩

▲大竹敦人

▲中野西敏弘